「優秀な人材が欲しい」と言う経営者の言葉は、その人が人間をどう見てるかがそのまま表れている。

設立2〜3年目の会社が直面する課題の一つが「採用」だ。ここ一年、周りのベンチャー経営者たちから「良い人が採れない。どうしたらいい?」と相談されることが多々あった。

売り手市場の昨今、ベンチャーに限らず大体どこの会社も採用に苦労している。

ところが知り合いの中に1社だけ、欲しい人材を順調に採用し、和気あいあいと楽しそうに経営している会社があった。

正直、私はなぜこの会社の採用が上手くいっているのか不思議だった。何かずば抜けて魅力があるわけでも、福利厚生が充実してるわけでも、人事のプロフェッショナルがいるわけでもない。

むしろ採用に苦心している会社の方が、PRは上手だったりする。社長がメディアで取り上げられていたり、ホームページが格好良かったり、新しい働き方を推奨してたり。表面だけ見れば、よっぽど人が集まりそうだ。

一体何が違うのだろう。

「君は優秀だ」と言われてもね。

先日フリーランスの友人と食事をしていた時のこと。彼女はこんなことを語り始めた。

「この前XX会社の社長から、正社員にならないかって誘いを受けたんだ。結構良い待遇を提示されたんだけど……断ろうかと思ってて。」

この話は今回が初めてではなく、仕事ができる彼女はしょっちゅう「正社員にならないか」と声をかけられている。

そのほとんどが社員数2〜3名のベンチャー企業。本人もフリーランスであることにこだわりはなく「ここだ!」と思う会社があれば、いつでも正社員として働いても良いと言っている。

「それなのに、何でそんな好待遇の誘いを断っちゃうの?」私は聞いた。

「うーん。誘ってくれるのは嬉しいし、良い会社だとは思うんだけど……なんかさ、誘い文句が引っ掛かるんだよね。」

「誘い文句??? 例えば何て言われるの?」

『あなたみたいな優秀な人と働きたい』って。

「え。普通に褒め言葉じゃん。それの何が引っ掛かるの?」

「いやー、引っかかるでしょ。確かに優秀って言われるのは嬉しいよ。でもそれって私の”能力”を評価してるってことだよね。それってなんか、入社前からすでに評価面談が始まってるみたいじゃない? 優秀じゃなくなったら使い捨てにされちゃうのかな、って、すごくプレッシャー感じるよ。」

「まあそーゆー風に捉えようと思えば捉えられるよね。」

と相槌を返しながら、でも誘っている経営者自身は恐らくそこまで考えておらず、単純に彼女のことを高く評価しているだけなんじゃないかと思ったが、黙って話の続きを聞くことにした。

「もちろんベンチャーなんだから、即戦力を期待されるのはわかるよ。でもさ、ベンチャーだからこそ能力じゃないところが重要なんじゃないのかなあ。

社員第一号として入社するのって、こっちだってそれなりに覚悟がいるわけじゃない? なのに『優秀だから来て欲しい』って言われても、ありがとうございます、じゃあ入ります、ってならないよね。

それより『能力とかじゃなくて、〇〇さんだから一緒に働きたい』って言ってくれたら、即座に承諾するのになーと思って。」

そう言って彼女は少し残念そうな表情を浮かべた。

採用はプロポーズ

私はこの話を聞いて、採用はプロポーズと一緒とよく言われるけど本当にそうだな、と思った。

「君はキレイだから僕と結婚して欲しい」とプロポーズされても、ハッキリ言って超イマイチである。

むしろこれから年を取るにつれキレイじゃなくなる可能性高いですけど大丈夫ですか?

夫婦になれば嫌でも毎日顔を合わせるしキレイじゃない場面もたくさん見せることになりますがそれでもいいですか?

キレイじゃなくなった私を見捨てませんか?(てか絶対将来若い子に浮気するよね? 100%するよね???)

……と矢継ぎ早に詰問してしまうかもしれない。

もちろん夫婦と社長&社員の関係性は全く同じとは言えない。でも、共通点は多いと思う。

近すぎるからこそ相手の嫌なところばかり目についてしまったり、言わなくてもわかってくれるでしょと期待し過ぎてしまったり、無駄に相手を傷つける言い方をしてしまったり。

ベンチャーも似たようなものだ。二人の会社であれば、否応無しに二人きりの時間が増える。少し距離があれば上手くいく関係でも、近すぎるためにケンカが絶えず、何人もの社員第一号さんが離れていった会社を見たことがある。

一緒に長い時間を過ごすためには、キレイだけじゃやっていけない。相手の欠点も含め、この人に人生捧げても後悔しないと思える人をパートナーに選ぶ。

起業という荒波を一緒に乗り越えて行く仲間だからこそ「あなたは優秀だから」なんていう無骨な言葉でプロポーズしちゃイケナイのである。

調子の良い時よりも、悪い時を愛せるか

そう考えてみると、なぜ冒頭に話した知人の会社が採用に成功しているか分かる気がした。

どんな人材が欲しいかという問いに「優秀な人」と返ってきたことは一度もない。そもそも「優秀」という言葉を一切使わない。口癖は「仕事ができるかどうかよりも、一緒にやりたいかどうかでしょ。」

彼らにとって一緒にやりたいかどうかの基準は、相手の能力がマックスに開花して絶好調な時を想定するのではなく、どんなに頑張っても成果が出ず、長く絶不調が続いたとしても「うちの会社に入ってくれてありがとう」と思えるかどうかだ。

松下幸之助の秘書でPHP総合研究所前社長の江口克彦さんは『上司の哲学』(PHP文庫)でこんなことを言っている。

「ほめる」ということは、実は人間観と非常に深く関わっていると思う。つまり人間という存在をどう見ているかである。

(中略)

「人間とはなにか」を考えたことのない上司、もっと言うならば、部下の中に人間の本質を見出せない、本質に対する絶対的な評価ができない上司、部下の中に仏の姿を見出すことのできないような上司は、上司としての資格がないと私は思う。

(中略)

部下の人たちは全て人間である。その人間というものを引っ張り、人間を活用しながら一つの仕事をしていく。したがって人間とは一体何かということが判らなければ、人間である部下を引っ張っていくことはできない。こんなことは当たり前のことであろう。

にもかかわらず、今の上司の人たちは、仕事の成功ばかりに目を向け、人間とはなにかを考えていない人が多い。本来上司となるべき人間は、仕事とはなにかを考える前に、人間とはなにかを考えるべきである。一度も人間について考えたことのない上司がいるとすれば、それは私に言わせれば偽物の上司である。そのような人に組織を動かし、部下を引っ張っていく資格はない。

どんな人と働きたいかは、経営陣の考え方、つまりは根底にある人間観が無意識的に現れる。「優秀だから来て欲しい」という社長の言葉は、本音中の本音なのだろう。

そして「優秀だから一緒に働こうと言われても嬉しくない」という友人の言葉もまた、本音中の本音なのだ。

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