社会人として働いていると「こんな理不尽には耐えられない! こんな仕事、辞めてやる!」と叫びたくなる時がある。

例えば、会社から押し付けられた高すぎる目標設定。自分のミスじゃないのに顧客から寄せられる激しいクレーム。終わるまで帰るなという上司の命令。成果主義ですと言いながら実質は年功序列型の評価制度。どんなに頑張っても上がらない給料……例を挙げればキリがない。

こんな風に毎日理不尽に晒されていると、一つの疑問が浮かんでくる。

理不尽に耐えて仕事を続けることに、一体どんな意味があるのだろう。

 

「世の中は理不尽だ」という真実

私が社会人になって一番最初に直面した理不尽は、新入社員合宿だった。

チームビルディングという名目の元、早朝6時から夕方の6時まで、67km 走らされた。経営コンサルタントとして入社して、なぜ走らなければならないのか。全くわけがわからない。

今考えればこうした合宿を会社が企画した意図も理解できるが、当時はこの理不尽さを受け入れられなかった。社会人になるまで体育会系の理不尽さをことごとく避けて生きていた私は、他の同期と比べて特に理不尽さに免疫がなかったと思う。

日々の小さな理不尽さが溜まったある時、ついに不満が爆発した。私は論理的思考力に定評のある、体育会系とは程遠い世界で生きてきたっぽい、ザ・インテリ系先輩に相談することにした。彼ならこの理不尽な状況に対し、一緒に怒ってくれると思ったからだ。

ところが先輩の反応は予期しないものだった。

「大島さん、世の中は理不尽なんですよ」

彼は表情一つ変えずさらりと言ってのけた。

「世の中は理不尽だから仕方ないなんて言ったらおしまいじゃないですか!!」私はひどく憤慨した。世の中は理不尽なんて、絶対に認めない。その言葉は受け入れることはできない。というか、受け入れたくない。

 

理不尽と感じるメカニズム

そもそも人はどんな時に理不尽と感じるのか。

私たちがある事象に対して理不尽と感じる時、その前提に「自分は正しい」という思い込みがある。

例えば上の例で言うと、「経営コンサルタントに必要なのは経営の知識や地頭の良さであって、12時間で67kmを走りきる体力ではない。100歩譲ってチームビルディングの大切さはわかるが、その目的を達成するための手段としていきなり67km走らせるのは間違っている。新入社員はNOと言えないのを知っていながらこのような企画を行うのは不平等である」という具合だ。

会社としてはまさにこうした頭でっかちの学生が抱く”経営コンサル”のイメージをぶっ壊し、「自分の限界に挑戦して、仲間と一緒に頑張る大切さ」を気づかせたい。だからあえてチャレンジングな環境を用意しているのだ。

「67km走る」という一つの事象でも、その捉え方はそれぞれの立場によって異なる。

常に客観的に物事を見られれば「まあ、そういう考え方もあるよね」と受け流せる。しかし、こと自分に直接影響があるとわかると、途端に自己防衛本能が働いてしまう。

人は「自分の主張を認めて欲しい」「理解してほしい」という承認欲求を持っている。よほど意識しない限り、その欲望はすぐにむくむくと湧いてくる。

承認欲求があること自体は自然な心の働きだ。ただ、自分の考えが正しいとあまりに信じすぎてしまうと、「自分の主張だけを認めてくれ」という欲を満たすことに必死になり、感情的に結論を出してしまう。自分の心が気持ちよくなるような結論に、無理やり持って行ってしまうのだ。

感情に振り回されて生きることに慣れると、最終的には自分の心が疲弊していく。

 

媚びない、切れない、意地を張らない

ラグビー日本代表監督、日本サッカー協会理事をつとめた平尾誠二氏は、著書『理不尽に勝つ』(PHP研究所)で、理不尽を乗り越えるために「媚びない、キレない、意地を張らない」ことが大切だと述べている。

理不尽な側に媚びたとしても一瞬心は楽になるが、理不尽な状況は解決しない。また、キレるのは鬱憤ばらしになるけれども、事態は悪化するだけ。

そして3つ目の「意地を張らない」というのは、正義感が強い人ほど最も心がけたい姿勢かもしれない。

「意地を張る」というのは、「無理やり我を通す」という感じだろうか。こちらが意地を張れば、相手も意地になる。そうなれば、最終的な目的地、つまり最初に掲げた理想にたどり着くことはますます難しくなってしまう。(中略)一種の正義感から対決しても、「キレる」のと同様、自己満足にしかならない。

「理不尽な職場だから転職したい」と相談してくる人の話をよく聞いてみると「私はこんなに頑張ってるのに、周りが認めてくれないんだ!」と単にいじけているだけの場合が多い。

そんな時は「周りを責める前に自分は相手の主張を受け止める努力をしたか」と自問できる心の余裕を持ちたいものである。

 

理不尽を受け入れる練習をしよう

環境を変えても、結局いつかは理不尽にぶち当たる。では一体どうすればいいのか。

私は、先輩がくれた言葉の中にヒントがあると思う。

私たちがすべきなのは「世の中は理不尽だ」というどうしようもない現実を、まずは受け入れることだ。

これは後ろ向きなあきらめでも妥協でもない。ありのままの現実、つまり「世の中にはいろんな人間がいて、立場によって見方や意見が異なる。いつも自分の思い通りに物事が進むわけはない」という当たり前を受け入れるということだ。

すると「じゃあ、その現実を受け入れて自分ができることってなんだろう?」「全部は認めてもらえなくても、自分の信念としてここだけは譲れないところはなんだろう?」と、自然と自分に集中することができる。

理不尽な状況に対して感情的に反応するのではなく、なるべく客観的に物事を観る練習を積む。理不尽に耐えるのではなく、ありのままを受け入れる。

もしそうした境地に達することが出来れば、きっと違う景色が見えてくるのではないだろうか。

 

1985年生まれ 東京都出身

経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールの現地法人へ転職し採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのちフリーランスとして独立。現在は開発コンサルタントとして国際開発援助やソーシャルビジネス支援に従事。