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先日、日本に暮らす中華系マレーシア人の友達に、こんな質問をされました。

 

Rieはなんで海外に行こうと思ったの?

え?それは結構長い話になっちゃうけど、、、何でイキナリそんなこと聞くの?

 

「マレーシアでは、特に中華系は海外に行きたいという人が多いんだよ。ある意味マレーシアという国に失望して、より居心地の良いオーストラリアとかニュージーランドに移民するの。」

へーそうなんだぁ、知らなかった。

 

「日本は確かに将来が不安な部分もある。

危機感の強い人たちは「日本人はもっと海外に出なければいけない!」と叫んでるけど、結局日本は居心地が良い。安定的な生活に満足できる。

それなのになぜ海外に出ないといけないの?

 

・・・・∑(゚Д゚)!!!!

 

という、根本的な問いを投げかけられたので少し考えてみました。ちょっと長くなりますが、今回は個人的な想いを前面に語っちゃおうと思います。

 

なぜ16歳で単身アメリカへ留学したのか

そもそもなぜ自分は海外にこんなにも強い思い入れがあるのだろう。

遡ると、最初に海外へ興味を持ったきっかけは、小学生の時に見た “West Side Story(ウエストサイド物語)”というミュージカルでした。

現代版ロミオとジュリエットともいわれ、人種の違う二人が恋に落ちるけど結局壁を乗り越えられず破局してしまう、というお話。

ストーリーもさることながら、自分とは全然肌の色の違う人たちが歌って踊ってる姿に釘付けでした。

めちゃくちゃカッコいい!アメリカとは何という国だ!こんな風に歌って踊って英語がしゃべれるようになりたい!

 

そんな純粋な興味を持ったのが始まりでした。

 

その後、帰国子女が沢山いる高校に間違って入学したことがきっかけで、帰国子女に激しいジェラシーを抱くようになります。

(私なんて猛烈に英語勉強しても喋れないのに、あいつら親の都合で移住してペラペラになりやがって・・・)

というとてもドス黒い気持ちに包まれたのが半分。

もう半分は、単純に交換留学制度があることを知り、アメリカに行く手段があるなら行くしかない!と思い留学することに決めました。(※ちなみに帰国子女の子たちも、語学習得のために最初はとてつもない努力をしていたことは後からわかりました。)

 

9.11同時多発テロが私の人生を変えた

渡米から約1ヶ月。人生を変える出来事が起きました。2011年9月11日のアメリカ同時多発テロです。

当時私は学校にいました。まだ英語なんて全然喋れなかったのですが、周囲がやたらざわついていることくらいはわかりました。

お昼休みにテレビで延々と流れる、飛行機がビルに突っ込む映像。これが現実なのか映画なのか、その瞬間は正直わかりませんでした。

 

衝撃を受けたのは翌日。

いつも通り学校へ行くと、校内中が国旗だらけだったのです。日本人だからなのか?よくわかりませんが、私はものすごい数の国旗に嫌悪感を抱きました

やたらとPatrioticという言葉を耳にするので、辞書で調べたら「愛国的な、愛国心の強い」と出てきました。胸がざわざわしました。

それまで優しかったホストファザーが、別人のように顔を真っ赤にしてイスラム教徒へ何か言っていた時、初めて状況を飲み込むことができました。あぁ、私は今戦争真っ只中の国にいるんだ、と。

 

 

 

そこから、私の社会問題への興味関心は止まりませんでした。

世界で何が起きているか知らないといけない。なぜこんなことが起きているのか、自分の頭で考える必要がある。そして、知ったからには何かやらないといけない。他の誰かじゃなくて、自分が行動せねば。そうだ、国連職員になろう。

 

今考えると青臭いほどの正義感だったと思います。そして国連職員を目指すという呆れるほどの単純思考。

でも、当の本人は本気で実現を目指しているので、周りの友達が就職しようが、大学院に行くのに借金する必要があろうがお構いなしで、夢を追いかけていました。

 

なぜ30歳になってアジアへ働きに出たのか

26歳のとき、国連職員への夢はあっけなく幕を下ろしました。

大学院生で念願のユニセフでインターンをしたのですが、自分の実力のなさ、周囲の凄さに圧倒され、自ら土俵を降りたのです。

修士2年で、いよいよ私も就職活動という日本独特のシステムに乗ることにしました。国連職員にストレートでなれなくても、他の方法で社会問題を解決できるでしょ!と新たな道を模索し始めました。先延ばし1回目です。

しかし、もちろんそんな簡単に見つかるわけもなく。

 

とりあえず目の前の仕事を一所懸命やって実力だけはつけておこうと頑張りましたが、内心は早く海外で働きたい、という焦りだけが募っていました

 

その焦りが爆発したのが29歳の誕生日。30歳で海外へ出ないともうこの先一生海外へ行けないというわけのわからない妄想に取り付かれ、海外に転職することを決めました。

 

就職先は大好きなアジア。もともと途上国の子どもたちに教育の機会を提供したいと思っていたので、できれば発展途上国で教育関係の仕事に就きたい、と思っていました。

 

それなのに結局就職したのはシンガポール(笑)。

一人当たりGDPでは日本を抜くほどの先進国。しかも就職先は人材紹介会社。お前の想いはどこ行ったんじゃー!!という話です。

いや、まずはシンガポールでそのうち近隣諸国行くでしょ、くらいに考えとにかく海外に出ることを優先したのです。これが先延ばし2回目

結局思い描いていたことと違うとなり、1年で会社を辞め帰国することになります。
そんな今、何を思うかというと・・・<後編>へ続く。

1985年生まれ 東京都出身

経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールの現地法人へ転職し採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのちフリーランスとして独立。現在は開発コンサルタントとして国際開発援助やソーシャルビジネス支援に従事。