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コンサルタント時代、何人かの経営者から

「会社のクレドを作りたいんだけど、手伝ってくれないか」

と相談されることがあった。

クレドとはラテン語で「信条」。経営においては「社長の考え方を明文化した行動指針」を意味する。

クレドを作りたいということは、社長のこだわりを明らかにし、社員へ伝えたいということ。つまりは価値観教育をしたいんだけど、という相談だった。

クレドを中心に据えた経営のメリットは多い。経営理念に共感した社員を採用しやすい、チームの一体感が醸成される、ブランドイメージが向上する、などである。

クレド経営を行う企業としては、ジョンソン・エンド・ジョンソンやリッツ・カールトンなどが有名だ。日本の会社では、楽天やGREEなども社員にカードを携帯させているらしい(”楽天やGREEが社員に携帯させているクレドカードとその効果について”)。

世に言う優良企業が導入していることもあって、クレド経営は肯定派が多いように感じる。

 

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一方で「価値観を統制すべきでない」や「社員を都合よく評価するための道具に過ぎない」など、否定的な意見を持つ人もいる。

私もクレドを導入する会社を複数見てきたが、確かに運用の仕方によっては行き過ぎではないかと思う会社もしばし見かけた。

 

例えばある会社では、クレドをいつでも見られるように大きなポスターを作っていた。立派な額縁に飾られ、執務室やら会議室やらに貼られていた。自社オリジナルの手帳も社員に配布し、一ページ目には丁寧に「今年達成したい行動指針は◯◯」と記入欄まで設けられていた。

またある会社では、毎朝・夕のミーティングで行動指針を読み合わせしていた。なぜその行動が重要なのか、社長が幹部に伝え、幹部が部下へと伝えていく。分厚い教本には「理想の行動例」が詳細に記されており、社員はその理想通りに行動できたか、日報で報告する。できていなければ上司から赤ペンが入る。

別の会社では、毎月クレドの暗記テストが実施されていた。社員は100以上あるクレドを一言一句暗記する。漢字だけでなく読点の位置まで合っていないければ正解にはならない。テストの結果はそのまま人事評価につながり、毎月の定例会で順位が発表された。

 

もはやどこまでがやり過ぎなのか、よくわからない。

「ここまでやらなければ、価値観は浸透しません」

と、ある経営者は言う。確かにそうかもしれない。人の価値観なんてそう簡単に変わらない。

 

だからこそある疑問が浮かんでくる。

価値観なんて、他人に強制浸透させるべきものなのだろうか。

人材育成という名の下に堂々と行われても良いのだろうか。わざわざ唱和や暗記テストまで行なう必要があるのだろうか。

もちろん、自分と似た価値観の人と仕事をするのは楽だ。冒頭に書いたメリットが建前上存在したとしても、社長の本音は「自分が肯定されるのが単純に気持ち良いから」なのではないだろうか。

結局は自分の考え方を認めてもらいたい、自分の価値観は正しいんだと証明したい。

そんな経営者の下で働く従業員は、さぞかし辛いだろう。

 

……と思っていた。

思っていたんですけどね、どうやら違うようです。

 

というのも、先ほど例に挙げた会社の社員ほとんどが、自らクレドを喜んで受け入れていたからである。社長の価値観を、あたかも自分の価値観のように取り入れていた。

そのうちの一社では「この1年で最も◯◯行動指針を体現していた人」を表彰までしていた。受賞した人は泣いていた。わんわん泣きながら「自分なんかがこの賞に値するとは思わないけど、これからも益々この行動指針を体現できるように頑張ります!!」と言っていた。周りも一緒に泣いていた。表彰式の会場は、異様な高揚感に包まれていた。

 

なぜだろう。

ちなみに、クレドの内容自体が悪いわけではない。さすがに経営者の人生のこだわりが詰まっているだけあり、素晴らしいものが多い。

私が疑問なのは、なぜ他人に与えられた価値観を嬉々として受け入れ、闇雲に吸収できるのかという点である。

確かにクレドに酔いしれるのは気持ち良い。なんで知ってるかって? なぜなら私自身、昔は会社の行動指針を信奉していたからだ。なんならクレド大賞を受賞したことすらある。授賞式ではわんわん泣いた。

新人の私は、仕事に対するこだわりを自ら紡ぎ出すよりも、与えられた価値観を鵜呑みして、一所懸命達成しようとするのが正しいと思っていた。上司からの評価もわかりやすく、褒めてもらえば気持ち良かった。

自分が道具にされている自覚のない人は何に対しても安易にノウハウを求める。

(中略)

ノウハウを求めるのは、とにかく手っ取り早くすませようという気持ちがありつつ、何をするにも特別な方法やコツというものがあるにちがいないという錯覚を抱いているからだ。ノウハウさえわかれば、誰にでもできると思っている。コツや方法がそれぞれの能力や人格と密着したものだということにも思いおよばないのだ

そんなの全然思い及ばなかったよ。クレドを体現しようと日々率先して行動したよ。

 

しかしそんなクレドも会社を辞めて時が経つと、だんだん色褪せて見えるようになった。

とにかく強い主義主張がその時代や場所を席巻しているような状況であれば、あるいはなんらかの思想が大多数から支持されているようであれば、それをきっかけにニヒリズムはいくらでも生まれてくる。

なぜならば、絶対的に見えるような強い知、権威的な主義主張の中身は無であり、その根拠はむなしいものだからだ。

(中略)

意味や価値は誰かから与えられるものではない。自分がそこに意味や価値を見出すことでしか、意味と価値を持ちえない。

自分で価値観を作り出す作業は大変だ。でもそれを怠れば、いつまでたっても本当の意味で仕事に意味を見出すことはできない。

クレド経営は、自分のこだわりを浸透させたいという経営者がいるだけでは成り立たない。

「誰かに価値観を与えてもらいたい」という社員が存在しない限り、成立しないものなのではないだろうか。

 

※文中の引用は以下の本です。

 

1985年生まれ 東京都出身

経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールの現地法人へ転職し採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのちフリーランスとして独立。現在は開発コンサルタントとして国際開発援助やソーシャルビジネス支援に従事。