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「商品」と「作品」の違いは一体なんだろう。

広辞苑では以下の通り定義されている。

・商品:商売の品物。売買の目的物たる財貨

・作品:製作物。主に芸術活動によって作られたもの。

この説明だけだと、正直ピンと来ない。商品はお金が必ず絡むが作品は違う。作品は結果として高く売れる(お金が絡む)ことはあっても、売る目的で作られてはいない、ということなんだろうか。

 

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仕事として書く時は、文章は「作品」ではなく「商品」だ。クライアントの要望になるべく応えられるよう、「伝えたい」ことと、読者が「読みたい」もの両方を実現する筆力が求められる。

しかし私の場合「商品」だけを書き続けていると、自分の気持ちのバランスが取れなくなってしまう。「商品」を書き続けるうちに、まるで自分自身もコモディティ化されてしまうような感覚に陥るのだ。

 

「読まれなくていいから、好きなことを自由に書きたい」とぼやくと、こう言われる。

読まれなければお金を稼げないでしょ。

読まれなければ価値がないでしょ。

読まれなければ誰かに影響を与えることはできないでしょ。

読まれなければ社会を変えることはできないでしょ。

 

おっしゃる通りです! 至極真っ当な意見です!

 

でも、例えばすごく音痴だけど歌うのが大好きな少女がいて、ただ楽しく歌っている時、

「おい、歌はもっと上手に歌わないとダメだよ。誰も聴いてくれない歌に価値はないんだよ」

とは言わないだろう(え? 言うかな?)。

私のブログは誰かに新しい価値観をもたらそうとか、多大なる影響を与えたいとか、社会を変えようとも思っていない。お金のためにも書いていない。音痴な少女のように、好きな時にへたくそな文章をダラダラ書きたいだけ。

 

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先日、若き起業家に言われた。

「俺もそんな時期があったな。でもさ、自分のために生きるフェーズは終わったっていうか。自分以外の誰かとか、社会にどれだけ貢献できるかを考えないと。

だって先人は俺たちのために沢山バトンを渡してくれたわけでしょ? だったらそのバトンを後世に渡さないとだよね。大島さんも早く起業して、自分目線から誰かを育てるフェーズに移行した方がいいんじゃない。」

「……。」

これはつまり、その、自分の人生を懸命に生きることは、他人のために生きることよりも簡単で、格下と思われる行為という意味なのでしょうか……? 生きることに難しさや苦しみを感じ、自ら命を絶ってしまう人が日本には年間3万人以上もいるというのに。

 

確かに先人が残してくれたものに対して、感謝の気持ちを持つのは大事だと思う。

ただ果たして彼らは「後世に残そう」と意図して生きていたのだろうか。そのような偉人も沢山いたと思うが、中には「自分が生きたいように生きただけです」という人も結構居たんじゃないかな。

むしろそうやってやりたい放題、好き勝手生きた人ほど、結果として偉業を残してきたように感じてしまう。

『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか』(青春文庫)の中で、岡本太郎はこんなことを言っている。

みんなどうしても、安全な道の方を取りたがるものだけれど、それがだめなんだ。人間、自分を大切にして、安全を望むんだったら、何も出来なくなってしまう。計算づくでない人生を体験することだ。誰もが計算づくで、自分の人生を生きている。たとえば美術家で言えば、美術家というのは、人に好かれる絵を描かなければならない。時代に合わした絵で認められないと、食ってはいけない。生活が出来ない。

だけど、僕は全く逆のことをやって生きてきた。ほんとうに自分を貫くために、人に好かれない絵を描き、発信し続けてきた。一度でいいから思い切って、僕と同じだめになる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。(p.55)

岡本太郎にはなれなくとも、自分を貫くために書いてみたい。当たり障りのない文を書くよりも、どうせなら「お前のブログはなんか居心地が悪いんだよ!」と言われてみたい。

そんな風に思う今日この頃です。

 

 

 

 

1985年生まれ 東京都出身

経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールの現地法人へ転職し採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのちフリーランスとして独立。現在は開発コンサルタントとして国際開発援助やソーシャルビジネス支援に従事。