UtoGo Academy を紹介する記事の第一弾は創業メンバーのまじめくん。
もともと自称「普通のサラリーマン」だった青年は、40歳を手前に全てのキャリアを投げ捨てイギリスの大学院留学を決めた。
一見無謀とも思える37歳での海外留学。周りからは順風満帆に見えるキャリアを捨てて、なぜ留学に挑んだのか。そしてなぜ地元に戻り起業を目指すことになったのか。
留学を決めたその想いや実現に至るまでの苦労、そして将来実現したい夢についてインタビュー形式でお伝えします。
自分が本気でやりたいと思える仕事は何かを模索した会社員時代
― そもそも、どのような経歴で今に至るのでしょうか。
高校まで奈良県にいて、大学は関西の大学に行きました。新卒で就職した業界は製造業だったんですけど、最初の勤務地は仙台で初めて地元(関西)を離れて一人暮らしをしました。
メーカーで8年営業をした後、東京のIT企業の新規事業開発部署に転職。そこで一から事業を立ち上げる経験をさせてもらいました。
初めて取り組んだ新規事業案件は非常に社会性があり、「この事業を拡大する事が社会問題の解決に直結する」と信じる事ができました。
しかし、新たな事業案を会社側に提示すると、「事業が儲かる/儲からない」を一番初めに聞かれる。
当然そこが大事なのは理解できるのですが、私はその前段階である「どう社会に役立つのか」という視点から考え、そこに納得できなければ本気になれないと気づきました。
それから段々と「もっと自分が本気でやりたいと思える事業にチャレンジしたい」と思うようになりました。
―その際に今の事業を思いついたのですか?
色んな情報を見聞きしていくうちに、「人口減少」と「地方の疲弊」が日本の課題だと思うようになりました。それを解決するために地方で何かできることはないかなと思っていたところ、生まれ故郷の奈良県を思い出したんです。
前職で各地を転々とする中で、奈良に住んでいた時には気づかなかった奈良県のポテンシャルを感じるように。外国人観光客をターゲットとして奈良県で観光業が盛り上がれば、外貨を呼び込めるかもしれない。そうすれば地方は発展できるんじゃないかと。
当時は既に「インバウンド」や「爆買い」というキーワードが世間に溢れており、外国人観光客向けのビジネスは目新しいものではありませんでした。
奈良県へ来る外国人観光客の人数も右肩上がりで増えていた。ただし、その8割はアジア人。
奈良県の特徴である「歴史や歴史的建造物」は特に欧州の文化と相性が良いのではないかと仮説をもっていたため、まずは奈良県の伝統文化を自ら体験し、外国人観光客の実態を調べてみました。
すると、体験に来る外国人の国籍は欧州系が圧倒的に多いとのこと。ここで欧州の人をターゲットにした観光ビジネスをやってみようと決意しました。
とはいえ、いざ観光ビジネスをやろうと思っても私には知識がない。事業計画は作成できるけど、一番大事な現場の課題感や実際の人々のニーズがわからない。
欧州の観光客の本当のニーズを知るためには、やはりその人たちの生活圏に暮らしてみることが必要だと思いました。そこで思い切って、歴史や歴史的建造物、アートを切り口に観光客を呼びんこんでいるイギリスの大学院に留学しようと決めました。
「留学なんて自分にできるわけない」とブロックをかけていた
―留学に興味をもったのはなぜですか?
実は、留学を決める前からキャリアについてはずっと迷っていました。自分が本気で取り組みたいことは何だろうと。
一時期、スポーツが好きだからスポーツビジネスの業界に転職もありかなと考えてました。その時に海外の大学院で学ぶという選択肢を知りました。
ずっと「いつか海外で学びたい」という漠然とした憧れがあったんだと思います。大学生のときに海外が好きでけっこう旅行には行ってたけれど、旅行ではその国の一部分しか見えてこない。しかも大抵は良い部分のほうばかり。
もし海外の大学院に行くんだったら、その土地に住んで、負の面も含めて「本当の声」みたいなものを知りたいと思いました。
―30代で海外留学する人は少数派かと思うのですが、不安はありませんでしたか?
正直不安しかなかったです(笑)。特にメンタル面と金銭的なハードルが高かったです。
―メンタル面というと具体的にはどんなハードルが?
大学院留学について全く知らなかったし、自分で本当に出来るのかな?と。キャリアについてはもう会社員には戻らないと決めていたから、帰国後の就職はそこまで不安ではありませんでした。
でも具体的に起業の内容は見えてなくて、方向性しか決まっていない。帰国したらもしかして違うことをやりたいと思うかもしれない。
成功が確約されているわけではないけれど、新しいことに挑戦すること自体はワクワクしていた。留学も起業も年齢的に早くないのはわかっていたけど、それよりも行きたいという気持ちが勝ちました。
もう一つ言うと、留学経験者の Ringo さんが精神面のハードルを下げてくれたのもあります。本当に留学なんて出来るかどうか悩んでいたら、「ぜんぜん行けるよ!」とまるで隣の県に行くくらいのノリで言い出したんです(笑)。
僕は昔から自分にあまり自信がなくて、「海外の大学院に留学なんてエリートのやること。俺みたいな平凡な奴が行けるわけない」と、自分で自分にブロックをかけていたところがあります。
でもその横で Ringoさんが「行ける行ける!」と何度も繰り返すので、自分もだんだん行ける気がしてきて。実際、Ringoさんは留学も海外就職もして世界を知っている人だったので、彼女の感覚は正しいと信じられる根拠もありました。
―実際、留学を決断してからどのように準備されたんですか?
まず留学エージェントに相談しに行きました。それが留学する1年と8か月前くらい。そこで大体のスケジュールと出願に何が必要かを理解しました。
当時ぼくはすでに37歳で、仕事を続けながら準備してたら留学できるのは40代になっちゃうな、と思いました。どうしても30代のうちに帰国して起業したいと考えていたので、「留学するなら集中して準備しよう」と思い、会社を辞めようと決めました。
―結構大きな決断だと思うのですが、周りから反対されませんでしたか?
それはされますよね(笑)。親に最初に話した時は「えっ!?」とびっくりされました。会社を辞める・留学する・奈良に帰ってきて起業する、という3点セットで全部一気に話したので、驚くのも無理ないです。でも家族会議の場で詳細を話すうちにだんだんと理解してもらえるように。
特に父とは話すのが照れくさい時期がずっと続いていて、大人になってからあまり深い話はしませんでした。最初に転職する時も反対されて、父はすごい安定志向なんだと思っていました。だから留学も反対されるだろう、とびびっていた。
ところが「留学して起業したい」といざ伝えてみたら、すごく嬉しそうな顔をしたんです。これには驚きましたが、こっちも素直に嬉しかった。父は自分も自営業だから、転職に反対したのは、同じ苦労を息子にさせたくないということだったのかもしれません。
とにかく家族に打ち明けることもできて、安心して奈良に帰ることが出来ました。無職になりましたが、実家に戻ることで少しだけお金も貯金することが出来ました。
想いを言葉にできずに苦労した志望動機書
―1年8カ月の間に、具体的にどう留学準備を進めたのですか?
会社を辞めて6月頃からぼちぼち英語の勉強を始めました。8月くらいまでは帰国後の事業内容を考えていたりしていて、9月に入ってようやく志望動機書の作成にとりかかりました。
ツーリズムに強い大学院は絞れていたのですが、実際に志望動機書を書こうとしたら経歴や将来やりたいことなどを整理する必要がありますよね。自分なりの想いはあるんだけれど、それを整理するのに苦労して。もともと話したり文章を書くのが得意じゃないので、自分の考えを言葉に明文化するのがすごく難しかった。
―どのように乗り切ったんですか?
ここでまたRingoさんに相談して、いっしょにロジックツリーを作りました。彼女はずっとコンサルタントをやっていたので、人の話を聞いて、その想いをくみ取り言葉に置き換え、ロジカルに整理するのが得意なんです。
「これは同じことを繰り返しているだけ」、「ここがつながっていない」、「ここの深堀が足りていない」とかバンバン指摘してもらって、初めて自分の想いが視覚化された。自分の想いが強いところ、逆に考えが足りない部分などが見えてきました。
今振り返ってみると、この作業は自分一人ではできなかったと思います。自分に向き合うのは得意でしたけど、私は想いが先行してしまう傾向があるので、冷静に考えればロジックが繋がっていないことも多い。
隣で質問を投げかけてくれたり、客観的にアドバイスをくれたり、僕の夢に向かって伴走してくれる人がいたから取り組めたと思います。
―では結構スムーズに志望動機書は書けたんですね?
いや、ロジックツリーは出来たんですけど、そこから志望動機書に書き直すのもかなり苦労しました。Ringoさんにアカデミック・ライティングの型を教えてもらったんですが、何回説明されても全然わからなくて。主張と根拠?具体例?もう、さっぱり(笑)。
いざ書き始めたら段落ごとのボリュームも偏ってるし、日本語もおかしい。そもそも論文なんて卒論以来書いたことがないから、単純に苦労しました。
ぼくは学部時代の成績が良くも悪くもないという感じだったので、合格するには志望動機書が重要ということはわかっていました。なので、ここはもう恥をしのんで全面的に Ringo さんに添削をお願いすることに。日本語の下書きに厳しめにツッコミをいれてもらい、それを修正する作業を5~6回繰り返したと思います。
ようやく日本語で内容ができあがっても、いざ英文にすると本当にひどくて…。当時 IELTSのライティングは 4.5~5.0 のレベルしかなかったので当たり前なんですけどね。Ringoさんに見せたら絶句されました(笑)。
―その後はどう書き上げたんですか?
とにかく一回留学エージェントに見てもらおうということになって添削依頼をかけたのですが、5語くらいしか添削されずに返ってきて。「え?本当に?これで合格するの?」という不安しか残らなかった。
そこで結局また Ringoさんに一から指導してもらって、日本語を一文一文英語に直していきました。最後はネイティブのアカデミック論文専門の添削会社に最終チェックをお願いして、ようやく最終版が完成しました。
志望動機書は留学への決意証明
―だいぶ苦労されたんですね。ちなみに結果はどうでしたか?
おかげさまで第一志望校含む、出願した大学院3校全てから合格通知をもらうことが出来ました。もちろん履歴書や推薦状など他の出願書類の準備も大変でしたが、やっぱり志望動機書の作成が一番苦労しました。
でもしっかり留学目的を明確にしておいたおかげで、留学中に辛いことや勉強を投げ出したくなった時も、踏みとどまることが出来たんだと思います。
今志望動機書を書きながら苦労している人には、志望動機書は留学中の支えになる重要な書類だから、相当大変な作業だけど諦めずに自分が納得するまでとことん向き合って欲しいと言いたいです。
一人で抱え込まずに、時には誰かに話したり頼ることもしてほしいですね。