先日、留学会社を経営する社長と、そこで働く敏腕女性マネージャーと、日本政府の留学プロジェクトを回している方と4人で食事をする機会がありました。
私を含め3人が留学、あるいは海外就職経験者でした。
ワインを2本開けだいぶ良い感じに酔ってきた時、誰かがこんなことを口走りました。
「なんで留学した人たちって、自由な人が多いんですかね。」
留学して自由になるのか、元々自由なのか。
科学的研究に基づいた統計などはありませんが、確かに留学経験者には自由で変わった人が多い気がします。
文科省の報告書『平成25年度高等学校等における国際交流等の状況について』によると、平成25年度の高校生の留学者数は3,897人だったそうです(3ヶ月以上の留学を対象としています)。
これは約1,000人に一人、高校生の0.1%が留学をしているということになります。
0.1%という数字を少ないと見るか、多いと見るかによりますが、1,000人に一人しか行わないことを決断する人は、やはり元々自由な発想をするというか、少し変わっているのかもしれません。
そんな元々変わっている人々が、「留学」を通して価値観をすべてひっくり返され、さらに自由人になるのでしょう。
哲学的な問いを問うたことがあるか
10年以上、留学する高校生を見てきたその社長が、こんなことを言いました。
「留学から帰ってきた子たちにはある共通点があるんだ。それは”自分は何者か”という哲学的な問いを自分に問うた経験。」
留学すると、当たり前ですがこれまでの価値観がことごとくひっくり返されます。
その国に降り立った瞬間から驚きの連続です。
空港の職員のフレンドリーな態度、レストランでのサービスレベルを疑う接客、赤の他人がすれ違いざまに聞かれるHow are you、様々な皮膚の色、信じられない食事のボリューム、全くツボがわからないジョークなどなど。
この驚きが連続して起こると、「今までの私の価値観は一体何だったんだ?!」と疑問を抱くようになります。
「日本ってクールだよね!NINTENDOとか、SONYとか!(え?そうなの!?Appleの方が全然かっこいいじゃん!)」
「オレ、日本大好きなんだよね!NINJAとかNARUTOとか!(え??忍者?忍者がまだいると本気で思ってるのか?NARUTOって何だ?私すら知らない日本のアニメを知っているぞ……)」
ますます日本人という自分が何者か、日本が周りからどう見られているか考えるようになります。
実はこうして価値観がボロボロと崩れていくことが、自分軸を持つための重要なステップなのです。
あなたは自分軸で生きているか
社長は続けます。
「でも、そういった変化を”驚き”として捉え、哲学的な問いへ昇華できるかどうかはその子次第。
ボコボコに否定されるような経験をした時、その経験を自分自身がどう考えるかが重要だよね。
ただその国の文化を鵜呑みにして日本人の価値観を捨て去ってしまうのか、最後まで考えることを諦めず、自分が納得できる答えを見つけ出すのか。
納得する答えが出せたタイミングで、その人の人生は主体的な人生になる。世の中の価値観ではなく、自分の人生を勝手に生きるようになる。
だから留学した子達は「自由」というより「自分軸で生きている」子が多いんじゃないかな。」
「自分軸で生きること」と「自分を過度に主張しすぎること」は違う
自分軸で生きるー。
口で言うのは簡単ですが、ここ日本において自分軸で生きるのは結構難しいと感じる人も多いのではないでしょうか。
「出る杭は打たれる」という諺があるほど、日本では協調性や同質性が求められます。一方、私が留学したアメリカでは個性や多様性が求められました。
ここで、どちらが良いとか悪いとか論じるつもりはありません。なぜならどちらも時と場合によって必要な資質だし、共存できるものだからです。
「自分軸で生きること」と、「自分を過度に主張しすぎること」は違う。
その違いが大人になってようやく分かり、日本でも自分軸で生きられるようになったなぁ、と感じます。
まとめ
最近は多感だった高校生の時の自分ほど、世の中に対して疑問を持つことは少なくなりました。
社会人になって沢山の知識や規範は身についたけれど、それらの知識や規範が偏ったものでないか、時々点検作業が必要だと感じます。
自分を否定されるのは辛いけれど、それでも新しい世界へ足を踏み出し、素直に驚き、疑問を抱き、悩み、考え自分なりの答えを出す。
そんな経験を大人になっても、し続けたいものです。
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