英語もろくに喋れない少女を温かく受け入れてくれた国、アメリカに今思うこと

その日はいつも通り、透き通るような青空が眩しい朝だった。

家を出ると、朝露に濡れた芝生が輝いている。青と緑のコントラストがコロラドの美しさを象徴しているようだ。

クリームチーズがべったり塗られたベーグルを頬張りながら、ホストパパの車に乗り込む。学校までは5分くらい。タウンページほどの厚さの教科書を詰め込んだリュックを抱え、窓の外を眺める。ガラス越しに見るロッキー山脈は、いつ見ても悠然と佇んでいる。

ああ、そうか。私は今、アメリカにいるんだな。

朝起きてしばらくは、自分がアメリカにいる実感がわかない。目が覚めて、慣れない薄い毛布の重みを感じ、乾いた空気を喉で感じ、薄いコーヒーの匂いを鼻で感じて、ようやく自分がデンバーというアメリカの地方都市に留学していることを思い出していく。

今日は大好きな数学の授業だ。日本では全く授業についていけない私も、アメリカでは優等生。数学のクラスには、ランチに誘ってくれるケイティもいる。

ケイティのおかげで、カフェテリアで留学生仲間と、どこか虚しくピザを食べることもなくなった。彼らには悪いけど、今は必死で高校生デビューをしなければならない。アメリカ人の友達を作らなければ留学生活は惨めになる。そんなことを、本気で思っていた。

数学の授業が始まって10分ほど経った頃、急に校内アナウンスが流れた。よく聞き取れない。

教室がざわついている。みんなが目を瞑って下を向いた。しばし静寂が訪れる。

一瞬の出来事に、何が起きたかわからなかった。

それが黙祷だったと気づかぬ内に、授業は再開された。

授業が終わった後、エイミー、アニー、カリッサ、デニカと合流する。私はいつもの仲間とランチに行くのを楽しみにしていた。今日はTaco Bellでブリトーかな。それともSubwayでサンドイッチかな。そんなことを考えていたら、車はなぜかケイティーの家に到着した。

みんな興奮してテレビにかじりついている。飛行機がビルに突っ込んでる映像だった。

ん? これはなんだろう? 映画じゃないよね。

私は拙い英語で ”Is this big news?” と聞いてみた。

するとケイティーは ”No! It’s HUGE!!!” と答えてくれた。ビッグニュースどころか超ヤベーよ、と。

私は一人、不思議な感覚に包まれていた。凄いことが起きているのはわかるけど、どこか他人事のように感じられる。テレビで見てるから? 私が日本人だから? 英語がわからないから?

16歳の私は、とにかく必死でみんなの悲しみ、怒り、驚きを感じ取ろうとした。でも結局、最後まで共感することはできなかった。

2001年9月11日。

米国同時多発テロ。

留学してちょうど1ヶ月ほど経った頃だった。

***

翌日学校に行くと、光景が一転していた。

壁一面に貼られた国旗やGod Bless America ー米国に神の祝福をー の文字。興奮気味に話す生徒たち。やたら聞こえるpatriotismという単語。

Patriotism? 初めて聞く単語だな。何て意味だろう。

電子辞書で調べると「愛国心」の文字が浮かんだ。心の奥底に、ザラッとしたものを感じた。この時初めて、相当ヤバいことが起きていると実感した。

アメリカンヒストリーのクラスに行くと、いつものあの子の表情が冴えない。彼女の肌は浅黒かった。英語が少し訛っていることは、気づいていた。ジョーク一つも言えない日本人留学生に声をかけてくれる、優しい女の子だった。

彼女が一人でいた時、私は何て声をかけていいのかわからなかった。

家に帰ると、ホストパパのいつもの優しい笑顔は消えていた。彼の話す英語はよく理解できなかったけど、イスラムが何とかって言っていた。

行き場のない怒りに満ちた表情だけは今も鮮明に覚えている。人間は一夜にしてこんなに変わってしまうんだと思った。彼の横顔をみて、怖くなかったと言えば嘘になる。私はイスラム系ではないけれど、白人でもない。

ああ、私は今、戦争の真っ只中にいるんだ。

戦争は過去のものではない。今この瞬間も続いている。16歳のわたしは全身でその事実を受け止めていた。

***

戦争をなくすためにはどうすればいいか。

16歳が想像できることなんて大したことはない。単純に、教育が必要だと思った。相手を理解すること、理解してもらうこと。異文化を受け入れること。正義を振りかざさないこと。周囲に惑わされず、自分の心で本質を見極めること。

今思えば、16歳の私はそう言い聞かせることで、必死で自分を守ろうとしていたのかもしれない。

留学してアメリカの光と影を目の当たりにした。それでも私にとって、この国が自由の象徴であることに変わりはなかった。英語もろくに喋れない日本人の女の子を温かく受け入れてくれた国なのだ。

あれから15年が経った今も、基本的な想いは変わらない。

世界を変えることなんてできないけれど、せめて人の心の痛みがわかる人間になりたいと思う。

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