「英語でアート」という対話型鑑賞イベントに参加してきた
先日、「英語でアート」というオンライン・ワークショップに参加してきました。
イベントのコンセプトは「ある絵画を鑑賞し、何が描かれているかを説明したり、どう感じたかを共有したりする」こと。
参加者は全部で5人。
いかにもアートに詳しそうという感じのマダムや、海外から参加していると思われる人もいました。偶然かはわかりませんが、全員女性。
ワークショップ自体は基本的にすべて英語で行われます。
参加者の英語レベルはバラバラでしたが、ゼロからの初心者と見られる方は一人もおらず。みんなある程度英語は話せるようでした。
まあそれもそのはず。普通に考えれば、アート鑑賞なんて日本語でやったほうが絶対にやりやすいですよね。
それをわざわざ英語でやろうというくらいなんだから、よほど英語とアートへの愛が深いのだと思います。素敵です。
日本人は「月」が好き?
さて、今回鑑賞した2枚の絵画には、どちらも「月」が描かれていました。
一つは日本人作家、もう一枚はロシア人でドイツに暮らした作家の作品。
日本人作家の作品は乳白色の背景に白い月が浮かぶもの。全体的に余白が多く、抽象度が高い。真ん中に大きな月が描かれていますが、その月と背景の境目はぼんやりと曖昧。
ロシア人作家のほうは、群青の夜空に対照的に輝く、ハッキリと明るくまぶしい月。
この二つの作品を見比べてファシリテーターの先生が「日本人って月が好きですよね」と言いました。
確かにそうかもしれない。
餅をつくウサギ、月へ帰るかぐや姫、十五夜のお月見などなど。月にまつわるエピソードがいくつか思い浮かびます。
そういえば夏目漱石は “I love you” を「月がきれいですね」 と訳したという話もありますね。
太陽のようにギラギラと輝く絶対的な中心ではなく、控えめで、どこか頼りなく欠けた月。
不完全で曖昧な存在に魅了されるなんていかにも日本人ぽいな、と感じます。
言語にも現れる日本人の美意識
こうした曖昧さや余白、受け手に解釈の余地を残す感じは、実は日本語にも通ずるところがあります。
『【英語習得への近道】日本語を英語に変換するときに役立つ「中間日本語」とは』の記事にも書いた通り、英語は通常「伝える側」に責任があると考えるため、常に主語や目的語を明確にしなければなりません。
一方、日本語は「読み手」に理解する責任があると考えるため、行間を読んだり、文脈から主語や目的語を推測する練習を国語で行います。
主語や目的語だけでなく、定冠詞と不定冠詞、単数と複数についても英語ほど厳密な区別は求められません。
例えば、日本人同士であれば「それってなんか、あれだよね」という、めちゃくちゃ曖昧なコミュニケーションが成立することもしばしば。
「それ」が何を指し、「あれ」が何を意味するのか、完全に読み手にゆだねられています。
それでも何となく通じるし、ふわっとした理解でも特に深追いすることはなく、その場が収まる。なんとも日本人らしいコミュニケーションの仕方だと思います。
日本研究で有名なアメリカ人学者のドナルド・キーン氏は、著書『日本人の美意識』(中公文庫)にて、和歌を例にとってこう述べています。
誰でも知っている 日本語の特徴の一つ、つまり普通文章の中で主語を省くことによって起こる 曖昧さを、この歌も活用している。すなわちそれによって、歌のどこにも明示されていない雰囲気と情緒を暗示するために、和歌に許された三十一文字を、この歌人は、もっと豊かなものにふくらませているのだ。
引用:ドナルド キーン (著)、金関 寿夫 (翻訳)『日本人の美意識 』(中公文庫)
むしろあえてハッキリ伝えない。解釈に曖昧さと余白を残す。
そんな日本人の美意識は、言語や絵画と通じるところがあるのかもしれません。
通訳しやすい日本語でありがとう 少し前ですが、参加者全員がフランス語スピーカーの外国人という状況で、研修講師をする機会がありました。 フランス語は学生の時に授業で取ってはいたものの、その頃覚えた単語は記憶の彼方に飛んでおり、自己紹介す[…]
英語でアートについて語るのはめちゃくちゃ楽しい
今回のワークショップでは、日本人の月に対する美意識や、日本語の曖昧さについて面白い気づきを得ることが出来ました。
なかでも一番の収穫は「英語でアートについて語るのって、こんなに楽しいのかっっ!病みつきになっちゃう!」という純粋な喜びでした。
他の人が何に注目して観ているのか、そこから何を感じたのか。
相手の描写を聞いているうちに「あれ?そんなの描かれていたっけ?」という新しい発見や、「この人はそんな印象を受け取ったのか」と驚きがあったり。
「自分がこの絵からポジティブなイメージを受けたのは、もしかして昨日読んだあの本の影響を受けているのかも?」と自分についての気づきがあったり。
同じ絵でも、違うタイミングで観ていたら違う印象を抱いていたかもしれません。
一枚の絵で、人によっても、タイミングによっても解釈に違いが出る。しかもそれを英語で語る。
日本語ほど自在に使えない言語だからこそ、どの言葉を選んで表現するかを考えるのが、すごく面白かったです。
今回は参加者は全員日本人でしたが、英語が話せれば世界中の人とこんな風に様々なアート作品について語ることができる。
こんな風に「新しい何かを知りたい、誰かに伝えたい」とムクムク湧き上がる想いこそが、英語を学ぶ原点なんだなーと改めて確認できるイベントでした。
▼参考文献