この記事は『Ringo先生のって何者?ストイックに英語力を磨いた27年間の勉強法と隠された苦労とは<前編>』の続きです。
UtoGo Academyを 紹介する記事の第2弾は創業メンバーの Ringo さん。27年間にわたる英語の勉強法についてのお話です。 たった200時間の勉強で、初めて受けたIELTSで OA 8.0 というスコアをたたき出した Ringo[…]
教育はコストではなく「投資」
日本からかかってきたその電話は、父の入院を知らせるものでした。
すぐに帰国し病院に駆けつけると、そこには変わり果てた父の姿が。ベッドの上でやせ細った父の姿を見た時、アメリカで呑気に生きていた自分が一気に恥ずかしくなりました。
病気は想像以上に深刻なもので、原因はおそらくストレスでした。
両親がどれほど苦労して留学費を捻出してくれていたかなんて知らなかった。もうこれ以上親に迷惑はかけられない。苦しませるわけにはいかない。
私は留学という半分現実逃避から目を覚まし、自分でお金を稼いで日本の大学に編入すると決めました。
期限は2年。最初の一年はお金を貯め、次の一年は編入試験の勉強に集中する。私立の奨学金を狙うけど、ダメだったら国立に入る。
そう決心し、塾講師やティッシュ配りのバイトをしながら受験勉強を始めました。大学が TOEFLのスコアを受け入れていたため、とにかくTOEFL iBTに集中。
当時、お金の余裕はなかったですが、教育に対しては借金をしてでも専門家に頼ることの有益さを理解していました。だから祖母に頼み込み、お金を借りて、さらにバイトをしながら専門塾に通いました。
―それはかなり大変な時期を過ごされたんですね…。
そうですね。父が倒れてからは結構大変でした。ちなみに父はその後、脅威の回復力を見せ今でも元気に生きていますのでご安心ください(笑)。
英語力が伸びたのは留学後の受験生の時だった
この受験生時代こそが、人生で至上最強に英語力が伸びた時期でした。
TOEFL iBT を4回くらい受験して、最高 113点を取得。リスニングについては満点を2回取りました。併願していた国立大学も試験対策はほぼせずに、TOEFLの勉強だけで合格。
結局、私立の奨学金は取れず国立に編入学したのですが、おかげで学費の工面が大分楽になりました。英語に人生を救われた2回目の経験でした。
私が IELTS や TOEFL などの試験勉強をおすすめしているのは、実はこの経験に基づきます。
高校留学の一年間が英語が伸びた時期と言えばそうなのですが、体系的・総合的に英語力がめきめき伸びたのは、実は留学後の受験生の時なのです。
文法に力を入れて勉強したのもこの時期でした。たまに「受験英語は生きた英語には使えない」という人がいますが、そんなことはありません。受験で鍛えた英語の基礎こそが、その後の飛躍につながるんです。
この頃私は22歳。後にも先にも、もうこれ以上のスコアが出せるわけないし、英語の勉強はここで終わり!と思っていました。
そしてこれ以降私は12年にもわたり、この時築いた貴重な財産を食いつぶしながら生きていくことになります…(笑)。
海外で働いたら英語は伸びるのか?
―大学に編入されて大学院まで進学されていますが、その後は英語とどのようにかかわってきたのでしょうか?
大学院までは海外でインターンをしたりと、結構英語を使うこともあったのですが、経営コンサルタントとして就職してからはサッパリでした。
社会人になって最初の3年間は、英語とはほぼ無縁の生活。あまりにも経営コンサルタントの仕事が楽しすぎて、英語のことはすっかり忘れていました。
でも30歳になる手前で「これが私の送りたい人生だったっけ?」と焦り始め、慌てて日本を飛び出すように転職へ。
とにかく海外に出たかったので、あまり深く考えずにシンガポールの企業に就職しました。シンガポールの公用語は英語ですが、正直、この時期ほとんど英語は伸びませんでした。
原因は業務で英語をあまり使わなかったからだと思います。顧客は日本人、同僚は全員ノン・ネイティブ。もちろんみんな英語力は高かったけど、やはりネイティブと働きながらビシバシ鍛えられる状況とは違います。
―そうなんですね。海外で働けばおのずと英語力は伸びるイメージですが…。
もちろん伸びる人は伸びると思います。でも私の場合、問題は私自身の姿勢にあったと思います。その時は英語を伸ばそうと真剣に思っていなかったんでしょうね。悪いこなし癖が出て、英語以外のビジネススキルで乗り切ってしまった。
ちなみに海外留学と海外就職の大きな違いはここにあると思います。
留学は大量のリーディングとエッセイに追われるため、学術英語に対応できる「きちんとした」英語の基礎がないと大変です。一方ビジネスは、対人スキルと専門知識・技術・経験があれば、多少のブロークン・イングリッシュでも乗り切れるのです。
その後に転職した開発コンサルタントも同様。「英語はあくまでもコミュニケーション・ツール」という耳障りの良い言葉に甘え、英語自体を伸ばす努力を怠っていました。
英語を教えるってこんなに誰かの役に立つんだ!
―開発コンサルタントの時は世界中を飛び回り、まさに英語を使う仕事だと思うのですが、なぜ今の事業を始めたのですか?
詳しいキャリアの話はまた別の機会に出来ればと思うのですが、一言でいうと「年齢による気持ちの変化」でしょうか。開発コンサルの仕事はやりがいはありましたが、一生続けられるイメージが持てなかったんです。
一生の仕事として起業の準備をしていた時、資金稼ぎのためにバイトを探し始めました。その時目に留まったのが TOEFL や IELTS を教えるという仕事でした。
面接に行ったらその場で採用が決定。またもや英語に助けてもらい食いつなぐことが出来ました。
最初は時給の高さに惹かれたのですが(笑)、授業をする内に英語を教える楽しさがふつふつと湧き上がってきたんです。
IELTSはすごく難易度の高い試験ですが、「難易度が高いからこそ面白い」という私の研究心(?)に火がつき、そこからのめり込むことになります。
私は経営コンサルタント時代に年間100回以上、研修講師としてお仕事をする機会がありましたが、その時に意識していたのは「いかに難しいことを楽しく、わかりやすく教えられるか」という視点です。
IELTSを教える際も、目の前の生徒さんがどこでつまづいているかを注意深く観察し、難しいことをいかに難しく感じず理解してもらえるかを常に意識しています。
―確かに。「Ringo先生の授業はわかりやす過ぎて、自分がわかった気になっちゃう!」という、生徒さんからお褒めクレームがありましたもんね(笑)。
そうですね(笑)。本当に教えるって、難しくて奥が深いです。
以前は英語の先生には絶対なりなくないって思っていました。「英語はあくまでツール。私は英語を仕事で使って、世界で活躍する人材になるんだ!」みたいな典型的な意識高い系…(苦笑)。
しかし実際に英語を教えていると、とにかく自分が楽しくて仕方ないのも事実。もう自分に嘘をつかず、英語の先生道として頑張ろうと心が傾き始めていました。
そんな時、英語が大嫌いなのにイギリス留学を目指すまじめ君に出会い、「IELTSに関する勉強法や日本語の情報が少なすぎる!」と悩んでいるのを知ります。
確かに日本では IELTS を教えている塾が少ないし、間違った情報も氾濫している。もし私の英語力が誰かの役に立てるなら、発信してみてはどうだろう。そんな風に思ったのがきっかけで、私は12年ぶりに本気の英語勉強を再開しました。
今はピーク時と同じくらいまで英語力は戻りましたが、20代に比べて記憶力は落ち、単語を覚えるのは億劫です(笑)。それでも今が一番、英語に真摯に向き合っていると感じます。
人生を救ってくれた英語に恩返しがしたい
―留学に行きさえすれば英語が出来るようになったと勝手に思ってたのですが、違うんですね。
そうですね。やはり小さな努力の積み重ねしかないと思います。何事も毎日続けるのはとても大変ですが、目標を決めてそのためにやるべきことをやるという大切なことを学びました。
私は体育会系の部活には長期間所属したことがないんですけど、体育会系ばりの気合いと根性を英語に培ってもらったと思っています(笑)。
まとめ
―Ringo先生の英語力の秘密は、次の6点という感じでしょうか。
- 小さい頃から洋画・洋楽をシャドーイングしていたのがリスニングの基礎となっている
- 好きなものにとことんはまるというオタク気質が英語学習にはまった
- 英語が話せないとサバイブできない状況は英語力を各段に伸ばす
- 留学後の受験勉強が英語力をさらに伸ばす
- 逆にこなす癖がついてしまうと英語は伸び悩む
- 苦労して身につけた英語力はそう簡単に落ちない
はい、そんな感じだと思います。
若いころは何より「好き」のパワーがとてつもなく、ただただ英語が好きで勉強をしていました。
一方現在は、私の人生を何度も救ってくれた英語に恩返しがしたいという想いが強いです。
そして、このブログを読んで独学している方、直接教えさせてもらっている生徒さんの英語力が上がり、目標達成や留学の夢を叶えてもらうことが、今の私にできる最大限の恩返しだと思っています。