社会人になりたての頃、

「とりあえず」って、あんまり言わない方がいいよ。

と先輩に言われた。とりあえずの対応ばかりしていると、本当に重要な仕事にいつまでたっても取り掛かれないからだという。

確かに、先輩の言うことは一理ある。しかし会社で働いていると、「とりあえず」という言葉を頻繁に聞く。むしろ、とりあえずやらなければいけないことの方が多い。

とりあえず返信しなければいけないメール。とりあえずやれと言われた仕事。どんなに非効率で納得いかないことでも、「とりあえず」やらなければいけない仕事の山。

こうして貴重な時間の大半が「とりあえず」の仕事に奪われ、本当に重要な仕事の時間は減っていく。

 

「とりあえず」をどこまで許容するか

とりあえずの意味は、「十分な対処は後回しにして暫定的に対応するさま」、「将来のことは考慮せず、現在の状態だけを問題とするさま」(三省堂 大辞林)である。

あなたは日々生きる中で、この「とりあえず」をどこまで許容しているだろうか。

例えば「とりあえずファイルを整理しといて」と上司に依頼されたとする。ファイルをきれいに並べ替えるだけなら、10分くらいで済みそうだ(実際は30分かかるのだが)。

心の中には「このファイル、いったい誰がいつ見るんだろう…本当に必要なのかな」という疑問が浮かぶ。

もし本当に整理が必要ならば、それらファイルの必要性を1冊ずつ判断し、不要なものは捨てなければならない。作業には判断が伴うため、上司も巻き込まなければならない。10分どころか、おそらく1日はかかるだろう。

とりあえずの10分か、根本に向き合う1日か。もしくはそもそも誰も見てないファイルの整理整頓なんて無駄だ!といって、作業そのものを切り捨てるか。

おそらく多くの人が、とりあえず10分で並べ替えるという選択肢を選ぶのではないだろうか。私だったら多分そうする。根本的な解決を提案したところで「お前まじめんどくせーこと言い出してんじゃねえぞ」と睨まれて終わるだけだからだ。

こうして一見小さな仕事については、「とりあえず」の決断が往々になされる。

ではこれが、もっと大きな決断だったらどうだろうか。例えば自分のキャリアに直接影響するような。

 

いつかは役に立つという誘惑

友人に、企画・営業を志望して転職した子がいた。しかし、入社後一発目の配属先は購買部だった。

「営業をする上で、仕入れの仕事を理解しておくのは大切だ。今後きっと役に立つと思う。とりあえず購買で頑張ってくれ。」

そう言われて彼女は5年、購買部で頑張った。何度か異動の希望は出したが、結局叶わなかった。5年が経ち、結果的に購買部での経験は無駄ではなかったと思うが、自分が何をやりたくてこの会社に入ったのか、すっかり忘れてしまっていたと言う。

この場合の「とりあえず」が厄介なのは、やってみたらいつか役立つかもしれないという、曖昧な期待がちらつくからだ。本心は引き受けたくなくても、ひょっとしたら……の可能性に賭けたくなってしまう。

おまけに上司は「なんでも捉え方が大事。無駄な仕事なんてない。考え方一つさ」と、あの手この手で説得してくる。

たしかに振返ってみるとあの時の経験が活きているな、と感じることがある。仕事なんて考え方一つ。だからどんな仕事でも受けるべきという意見もあるだろう。

それでもやはり、心のどこかに何か引っかかる。

数年のまとまった時間を一つの仕事に使うというのは、結構な投資だ。そこから得られる「いつか役に立つかもしれない経験」は、本当に投資するだけの価値があるのだろうか。

自分のキャリアに真剣に向き合えば向き合うほど、判断するのが難しい。

何かを選ぶとは、もう一方の何かを捨てること。自分にとって「あったらいい」ではなくて、「絶対にないとダメ」の基準はどうやって見つければいいのだろう。

 

仕事やキャリアに関する捨てる基準

捨てる基準の作り方は、ミニマリズムの考え方が参考になる。ミニマリズムとは、自分を基準にモノの取捨選択を行い、仕事や生活、人生において必要最小限を目指す思想だ。

アメリカのミニマリズム運動を代表する一人、ジョシュア・ベッカーは、その著書『より少ない生き方 ものを手放して豊かになる』(かんき出版)で、ミニマリズムを以下のように定義している。

いちばん大切にしているものを最優先にして、その障害になるものはすべて排除すること

そしてミニマリズムの意義は

いらないものを手放せば、本当に大切なものに集中する自由が手に入る

ことだ。

仰ることはいたってシンプル。シンプル過ぎて、逆に実践が難しいやつだ。

これがモノだったら、捨てるのは比較的楽かもしれない。いや、モノだって捨てるのは難しい。私たちは、いつか着るかもしれないと思って買った服、いつか読むかもしれないと買った本に囲まれて暮らしている。この「いつか」はたいてい訪れないとわかっていても、捨てられない。持っていることで安心するからだ。

ベッカーは、身の回りの不用品を捨てることで

・何を残して何を処分すればいいのか

・どんなものが自分の人生の価値を高めてくれるだろうか

・どんなものが人生の価値を下げているのか

という基準が見えてくるという。そもそも最初からこの基準がわかっている人なんていない。だから小さなところから初めて、どんどん加速していけばいい。

私は以前、働きすぎで何か大切なものを失っているのではないかと、漠然な不安を抱えたまま日々を過ごす時期があった。

そこで気が触れたのか、すべての仕事を断り、ニートを目指すことにした。

仕事の代わりにぽっかり空いた時間で、公園を散歩したり、本を読んだり、美術館を回ったり。自分が子どもの頃好きだったけど、大人になってやれていなかったことを思い切りやった。

自分にとって丁度よい働き方や、仕事以外に必要な要素、生きていくのに十分なお金はいくらか、じっくり考えた。なんとなく自分の基準が見えてきたところで仕事を再開し、私のニート生活はたった3ヶ月で終了した。たった3ヶ月だが、とても意味のある時間の遣い方だった。

 

「とりあえず」に流され続けていることに気づく

仕事を断ろうと決めた時、最初はお客様に迷惑もかかるし、怒られると思った。しかし予想とは裏腹に、誰も怒らなかったし、世界は何も困っていなかった。

私たちの多くは、「仕事はモノとは違う。そう簡単に捨てられるものじゃない」と信じ込んでいる。不要なモノを不要な仕事・経験と置き換えて考えるのは、単純すぎる、キャリアを手放すのは難しい、と。

確かにその通りだが、ミニマリズムは何でもかんでも捨てればよい、という話ではない。

(手放すのが難しい)分野のものは、持っていてもかまわない十分な理由があると考えてしまう。「これらのものを手放したら、何か大切なものを失ってしまうのではないか?」と心配になるのだ。

しかし実際は、ものを減らす努力をしないほうが、何か大切なものを失うことになる。その大切なものとは、理想の人生を生きる自由だ。本当に大切なのは、ものではなく、夢をかなえることだろう。理想の人生を実現するためなら、犠牲を払う価値はあるはずだ。(※強調筆者)

この文章のいくつかの「もの」という単語を「仕事」に置き換えてみると、しっくりとこないだろうか。

 

とりあえず色んな仕事に挑戦してみる、経験を積んでみるという姿勢は大事だと思う。しかし、「とりあえずの仕事」で自分のスケジュールを埋め続けると、理想の人生を生きる自由を失ってしまうかもしれない。

いつかは役に立つと思って始めた仕事が、自分が心から達成したいと望むものを、実は遠ざけることになっていないだろうか。

本当に実現したいキャリアを見つけるためには、積極的に仕事を捨てていかなければならないのかもしれない。