日本が「すごい国」だった時代を知らない私たちが海外へ行く理由

私が以前寄稿していたBooks&Appsの『日本はもう「普通の国」だから、安定した職場に居続けると、本当にマズいかも。』という記事がバズっていた。

要約すると、「日本のスゴさが国境だけで守られる時代は終わって、これからはグローバルに戦う時代だよ。大企業に居ても安心じゃないから、30歳までに成果を出す能力磨いとこうね。じゃないとお先真っ暗だよ」というような趣旨だと思う。

おそらく多くの人が「日本はもう普通の国」「安定した職場に居続けると、本当にマズい」というタイトルを見て「え?そうなの?」とドキッとしたんだと思う。

ただ、中には「何を今更言っているの?」と思った人もいるはずだ。私もそのうちの一人。なんというか、、、「これからはITの時代だから、ITスキル無いとマズイですよ」みたいなことを2016年5月現在で言われているような感覚に近い。

別に上から目線とか意識が高いとかの話じゃなくて、単純にそんな感覚に包まれたのだ。そしてなぜこのような認識の違いが生まれるのか考えてみた。

やはり強く思うのが、外から日本を見た(考えた)ことがあるかどうか、その経験の有無だけなような気がする。

「日本がすごい国だった」頃を知らない私たち

ここ10年以内に海外に一度でも暮らしたことがある人なら、「日本が普通の国になってしまった」事実にとっくに気づいているはずだ。

いや、「普通の国になってしまった」と感じるのはある一定の年齢より上の人かもしれない。「なってしまった」と表現しているということは、過去に日本は栄華を誇っていたという認識の上に成り立つ。

誰もが今日より明日が良くなると信じた高度経済成長期を生きた人、あるいは無敵のバブル時代を経験した人にとって、今の日本はフツーになってしまったと感じるのかもしれない。

しかし10代〜20代の若者、下手したら30代の人の中で「日本って超スゲー!」とリアルに実感したことがある人は少ないのではないだろうか。

1985年生まれの私は、中学や高校の授業で「日本は先進国です」的なことを教え込まれてきた。確かに世界には1日1ドル以下の生活を送る途上国はたくさんある。

それに比べ日本のGDPは一応世界3位だし、技術力とかもすごそうだし(文系の私にはさっぱり事実がわからないのであくまでもイメージ)、まあ”経済的にすごい国”とか”最先端の国”というイメージは確かにある。

今から約15年前、アメリカに高校留学した時に「日本から来たの?クールだね!日本は大好きだよ。TOYOTAとか、SONYとか、日本の技術はすごいよね!」と言われたのを覚えている。NOKIAのおもちゃみたいな携帯が主流だったアメリカで、日本のNECのガラパゴス携帯(しかもカラー画面)を見せたら、「ワァオ!ファンタスティック!」と称賛と嫉妬の念で見られた。

「ふふふ、アメリカ人に勝ったぞ。」

謎に気持ち良くなった。やはり日本が褒められると嬉しいし、日本人としての誇りも生まれてくる。ただ、その後日本のガラパゴス携帯がどうなったかは皆の知るところである。

私が経済的・技術的な面で「日本ってすごいかも」と思ったのは、おそらくこれが最後だ。

肌で感じる日本のヤバさ

それから更に15年が経った。アメリカだけでなく、ヨーロッパやアフリカを旅し、アジアでは就職も経験した。この15年のうちに、海外と日本を見る目もだいぶ変わった。

基本的に日本が大好きなことは変わらないが、大人になって「あ、日本このままじゃヤバイかも」と思う点が二つだけある。

物価が安い。

シンガポールから日本に帰国すると「あれ?日本ってこんなに物価安かったっけ???」と思うことがよくあった。

もちろん一概には言えないのだが、特に日本の日用品はめちゃくちゃ安くて質が良い。帰国するたびに大量に買い込んでいた。

食事に関しても日本は安くてうまい。シンガポールには屋台文化があるので、屋台の食べ物は日本より安い。しかし普通のレストランで食べたり、ちょっとお酒を飲もうと思ったら日本の1.5〜2倍くらいはするのではないだろうか。

ちゃんとしたデータがないので説得力がないかもしれない。でも、データ云々よりも肌で感じるヤバさの方が大事だと思う。

一昔前はカワイイ雑貨を安く買うために東南アジアへ旅行した。でも今は爆買いという言葉が示すように、中国人、タイ人、インド人などの(富裕層だけじゃなく)中間層が、日本へ「安くて良いもの」を買いに来る。データがなくても、日本のヤバさをマツキヨで感じることが出来るのだ。

英語力がヤバイ

言わずもがな、日本人の英語力はヤバい。正確に言うと、英語でコミュニケーションをとる力が低すぎる。これまでいろんな国の人と交流をしてきたが、日本人の平均的な英語力はダントツで低いと感じる。

つい先日も、留学から帰ってきたばかりの友人が、日本の英語教育を嘆いていた。同じアジア人留学生でも、中国人、韓国人、台湾人などは英語でどんどんコミュニケーションをとっている。でも日本人は話すのが苦手で、黙々と自習室でテスト勉強をしているらしい。

シンガポール人やマレーシア人も同じで、英語が話せるのは当たり前。それに加え北京語、広東語、日本語など、だいたい3ヶ国語くらい操れる。

日本にいて「日本人は英語できないね」と言われても、「別に英語できなくても生きていけるし」と、なんとなく開き直って終わるかもしれない。

でも目の前に3ヶ国語を操るアジア人が複数現われて、堂々と欧米や中東圏の人たちとビジネスする姿を目の当たりにすると、さすがに焦るものである。

「ヤバい」と気づくことから始まり「オモシロイ」へ変えていく

ここまで「日本は結構前からフツーの国だし、リアルにヤバいのは常識ですよ」という話をしてきた。しかし、私は無駄に不安を煽りたいわけではない

この手の記事を読んで「このままじゃヤバいかも」と思ったならば、それは次のステップへ自分を引き上げる良い機会なのではないかと思う。

人が成長するためには、課題を認識することがまず必要。「ヤバい」という心のサインに、防衛反応を働かせフタをしてはもったいない。どうすれば良くできるのか、改善への原動力に変えてみてはどうだろうか。

最初は不安や焦りからの行動であっても、取り組んでいる内に楽しくなってきたということはたくさんある。実際、私が知る海外で活躍する日本人も、不安や焦りより「海外でフェアに戦えるのが楽しい!」「海外に出て、自分らしく生きられるようになった」という人が多数だ。

30歳までに成果を出すことにこだわって、日本の安定した企業を抜け出して経済的勝者を目指すのも一つの選択肢。ただ、別にそれだけが生き方じゃない

ある一つの世界だけにこもって「オレたちはすごかった」と過去の優越に浸るのは確かにマズイかもしれない。でも、本当に大切なのは、世界に飛び出して様々な価値観に出会い、自分がどのように生きていきたいかを知ることなんじゃないかと思う。

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